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2017年10月23日月曜日

第12回子ども脱被ばく裁判報告と感謝


みなさま、子ども脱被ばく裁判 第12回口頭弁論が 昨日10月18日福島地裁(金沢秀樹裁判長)で開かれました。傍聴に参加してくださったみなさま、ご苦労さまでした。今回の原告陳述は荒木田 岳さんでした。陳述後の帰り道で荒木田さんは「生活を根こそぎ破壊された当時者の思いを、あの加害者の顔ぶれに届く言葉にしたら、あんな言葉になりました」と冷たく述懐された内容を要約すれば、「事故直後せめて法にのっとり手続き通りに対応していたら、子どもの被ばくは回避、軽減できていたはず」、「事故後は、自らの失政を反省するどころか、脱法行為を覆い隠し、正当化するための安全神話を流布することに明け暮れている」、「そんな異常さが、今日、立憲主義や法の支配を危機に陥れている」といった内容でした。行政が行った違法行為の事実、私たちは既に忘却の彼方に追いやっていないでしょうか。裁判の原点に引き戻される思いでした。
この日、判決が出たばかりの「なりわい訴訟」の原告さん、広島からの仏教団体、大阪からの初参加の方など、新しいお仲間と繋がり、活発なご意見をいただきました。東京、神戸、大阪からの支援者を含め 約60余名が参加、傍聴者は45名でした。報告された追加署名数は今回1434筆、延べ48523筆となりました。ご協力に心からのお礼を申し上げます。署名は今後も継続をいたしますので、今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。法廷では4人の弁護人が弁論を展開しました。その内容を井戸弁護団長が要約しています。子どもを被ばくから守るために 何を焦点にしているか、ぜひともお読みいただきご意見をお寄せくださいますようにお願い申し上げます。

(文責水戸)



H29.10.18第12回子ども脱被ばく裁判口頭弁論期日のご報告
弁護団長 井 戸 謙 一

本日は、東京地裁の南相馬・避難20mSv基準撤回訴訟と重なったにも関わらず、多数の方が福島地裁に駆けつけていただきました。
1 本日、原告側は、次の準備書面を提出しました。
(1) 準備書面40
ICRPが使う「しきい値」概念を検討し、その主張が政策的判断であることを明確にし、被告国が確定的影響について100mSvを事実上の「しきい値」であると主張している目的は、将来のがん発生についての責任回避にあることを基礎づけたもの
(2) 準備書面41
被告国が合理的であると主張する福島原発事故当時の防災指針は、50mSv以上の被ばくでようやく住民を避難させるという不合理なものであること、子どもに対する安定ヨウ素剤の投与指標は、1999年WHOのガイドラインに従って甲状腺等価線量10mSvとすべきだったのであり、100mSvと定めていた防災指針は不合理であったこと、チェルノブイリ原発事故の際、1000万人の子ども、700万人の成人に安定ヨウ素剤を服用させたポーランドの措置は、小児甲状腺がんが全く発生せず、服用の副作用もほとんどなかったことから国際的に賞賛されたが、そのポーランドにおけるセシウム137による土壌汚染は、最もひどいところでも37000ベクレル/㎡であり、福島よりもはるかに軽度であったこと、福島県立医大の関係者には安定ヨウ素剤を服用させながら、それよりもはるかに高い線量にさらされていた子どもたちに服用させなかった福島県知事の措置は、裁量権の逸脱であること、神戸の郷地秀夫医師の学会発表によれば、福島県及びその周辺地域からの避難者や保養者を検査した結果、多くの子どもに甲状腺自己抗体の陽性者が認められ(従来のデータでは、子どもの甲状腺自己抗体の陽性者はほとんどなかった)、被ばくによる自己免疫性疾患の増大が危惧される状況にあること等を主張したもの
(3) 準備書面42
被告福島県は、2011年3月30日にオフサイトセンターに学校再開の基準を尋ねる文書を送付していることから、学校再開を判断するために必要な知識を持っていなかったことが窺えるが、その被告福島県が、その前日の3月29日に県立学校の始業式を例年通りに実施する旨の不合理な通知を出しており、これが県内市町村教育委員が例年どおり、始業式を実施する旨の判断にも影響を与えたと考えられること等を主張したもの
(4) 準備書面43
福島県立医大では、小児甲状腺がん患者の情報を一元的に管理するためのデータベースを作っており、福島県内のほとんどの小児甲状腺がん患者の情報を持っていると考えられること、被告福島県は、その情報を公開する義務があること、その義務の発生理由として、①小児甲状腺がん患者の情報は福島県の支配領域内にあるところ、福島県は、県内の子どもたちの健康を守るために、この情報を県内の子どもたちや保護者たちに提供すべき作為義務を負うこと、②国には、福島原発事故の発生の責任者(先行行為の責任者)として、住民の健康被害調査を行い、その情報を子どもたちや保護者に提供する責任があるところ、福島県は、国の委託を受けて県民健康調査を実施しているのであるから、その提供責任も引き継いでいると考えるべきこと等を述べたもの原告側としては、今後、現在の福島で子どもが生活することに健康上のリスクについて専門家の意見書を提出して主張を補充したいと考えています。

2 被告福島県は、県民健康調査において「経過観察」とされた子どもたちからの甲状腺がんの発生件数を明らかにせよとの原告らの要求を改めて拒否しました。また、被告国は、原告からの「原子力緊急事態宣言」の内容についての求釈明に対する対応を留保し、次回までに対応を明らかにすると述べました。

3 裁判所は、子ども人権裁判については、議論が煮詰まってきたとして、当事者に対し、主張整理案を提示しました。また、今後、子ども人権裁判と親子裁判を最後まで併合して進めるのか、どこかの時点で分離するのかについて、当事者に意見を求められました。これについては、検討したいと思います。いずれにしても、子ども人権裁判については、終盤に入ってきました。
以上


12回子ども脱被ばく裁判 陳述書

 私は、政府や福島県が、事故前に定められていた原発事故対応の手続を守らなかったゆえに、避けることができたはずの被ばくを住民とりわけ子どもたちに強要した点を中心に陳述します。
 原発事故の責任には、大きく分けて「事故を発生させてしまった責任」と「避けることのできた被ばくを避けさせなかった責任」の2つがあります。
 前者については、今年3月の前橋地裁判決でも、今年9月の千葉地裁判決でも、先週の福島地裁判決でも、津波到来は予見できたし、対策も可能であったため、事故を防ぐことは可能であったと結論されているとおりです。
 私自身は、後者の責任(避けられた被ばくを避けさせなかった責任)が重大であると考えています。
 まず、原発事故が発生した際、どのように対応しなければならないかということは、細かいところまで立ち入ってその手順が定められていました。これは、「原子力防災」と呼ばれていますが、その目的は、住民をいかにして被ばくから守るかということでした(松野元『原子力防災』〔創英社、2007年〕)。
 たとえば、「緊急時環境放射線モニタリング指針」(以下、指針と略記)では、実測と予測の2方向で、放射線拡散をモニタリングするよう取り決めていました。実測の際には、計測する場所も、使用する機器も、計測方法まで細かく指示されており、携行品について、乾電池一本、鉛筆一本まで取り決められていたのです。予測の際も、放出源情報がない場合も含め、拡散予測の方法が細かく決められ、その方法に従ってモニタリングすることとされていましたし、予測結果を送りつける先もあらかじめ決まっていました。
 現場では、実測も、予測も粛々と行われていたし、そのデータの示すところに従えば、福島県民にとどまらず、関東や東北地方の広い地域で避難が行われなければならなかったはずです。一号機建屋が吹き飛ぶ前に、すでに広い範囲で132テルルが検出されていました。すなわち、自然界に存在せず、半減期3日、沸点1,400のものが、2011年3月12日の朝には大熊町・浪江町で、昼過ぎには福島第一原子力発電所から20㎞以上離れた南相馬市で福島県原子力センターによって検出されていたのです。このデータが示すのは、メルトダウンの蓋然性であり、住民被ばくの可能性でした。
 しかし、福島県はこのデータを隠蔽し、住民の避難に活かすことはありませんでした。このデータが、原子力安全・保安院を通じて公表されたのは2011年6月3日のことです。
 SPEEDIを統括していた原子力安全技術センター(当時)が、装置を緊急モードに切り替えて1時間ごとの拡散予測データを、事前に指針で定められていた部署に送付しはじめたのは、地震発生から2時間足らずの3月11日午後4時40分のことです。しかし、政府も福島県も一連のデータを住民には公表せず、住民の避難に活かすことはありませんでした。これらのデータが一部公開されたのは2011323日で、全面的公開は同年5月になってからでした。
 福島県は、3月13日午前10時半過ぎにFAXで県庁に送られたSPEEDIの拡散予測データについて、非公表の口実として放出源情報を挙げています(『福島民報新聞』201157日付)。しかし、指針は、放出源情報がない場合も想定した上で、その際の試算方法も明示しています。また、福島県は電子メールで届けられたSPEEDIの拡散予測データについて、「気がつかず」「消去した」という説明をしています(『福島民友新聞』、『東京新聞』、ともに2012年3月22日付)。しかし、メールによる情報提供を要求したのは福島県原子力センター自身であり、意図的な証拠隠滅としか考えられません。
こうして、「住民をいかに被ばくから守るか」という、原子力防災の目的はないがしろにされ、住民は情報の隠蔽ゆえに被ばくを避けることができなかったのです。放射性物質の降り注ぐ中、一人10リットルあてで配給された水を求めて多くの市民が、赤ん坊まで連れて屋外で長い列を作っていました。危険を知らされていれば、こういう事態は避けられたのではないでしょうか。そうすれば、将来への懸念も減らすことができたはずです。
 そればかりか、その後に始まった行政による「安全宣伝」は、原子力防災がないがしろにされたこと自体を隠蔽し、正当化するものでした。放射線被ばくの危険性は過小評価され、現実に出現し始めている健康影響(たとえば、小児甲状腺癌)も過小評価された被曝量を根拠に「被ばくの影響とは考えにくい」と結論づけています。
もっとも、福島県が放射線被ばくを本気で「安全」と考えていたわけでないことは、福島県立医大の職員(40歳未満)が安定ヨウ素剤を服用していたことからして明らかでしょう。住民には放射線被ばくを強要し(たとえば、自主的に配布した三春町には県が回収を指示しています)、身内には安定ヨウ素剤を服用させるというダブルスタンダードが許されてよいはずはありません。
 総じて、住民に不必要な放射線被ばくを強いたという論点について、被ばくの予見可能性はありました。それゆえ、原子力防災という形で、いろいろな分野において(今回は、時間の都合でモニタリングの話だけを例示)、原子力災害が発生した際の対応手順(被ばくを避けるための手順)が細かく決められていました。しかも、それらの手順に従って、現場では粛々とモニタリングが実施されていました。そのモニタリング結果に基づき、ルールに従って適切に対応すれば、住民の被ばくの大部分は回避することができたのです(3月12日実測値に基づき、SPEEDIの拡散予測を利用して回避策がとられれば住民の被ばくの大部分が回避可能でした)。
 にもかかわらず、政府や福島県は、それら事前に定められた手続きに従わず、実測データ・予測データの双方を隠蔽した上に、住民を積極的に現地に引き留めるなど、「故意」に原子力防災の目的とは正反対の行動をとりました。さらに、証拠隠滅や、自身の行為を正当化するための安全宣伝まで行っています。その結果、子どもたちに余計な被ばくをさせ、将来の健康不安につながっています。
こうしたことが、原発事故後6年半にわたって続けられてきたし、現在も続いているのは異常だといわざるをえません。こうした異常が、今日、立憲主義や法の支配を危機に陥れているものの正体ではないかと私は考えます。
 上記の連鎖を断ち切り、法や手続きに従った行政が回復されることを願ってやみません。そのための適切な判断を、裁判所には切に願うものです。
以上

第12回口頭弁論期日の書面がアップされました。
子ども脱被ばく裁判弁護団のページ:http://fukusima-sokaisaiban.blogspot.jp

裁判の報道です。ご覧ください。

民の声新聞:http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-199.html