子ども脱被ばく裁判を支援してくださるみなさま
子ども脱被ばく裁判の会共同代表 片岡輝美
子ども脱被ばく裁判判決の日、各地から参加してくださったみなさま、またネット配信でつながってくださったみなさま、心から感謝いたします。ありがとうございます。
2月28日夕刻、子ども脱被ばく裁判直前記者レクに集まったメディア関係者15名に、井戸謙一弁護士は子ども脱被ばく裁判の意義を丁寧に、そして熱心に語りました。また、原告3名は幼い子どもとの避難生活の苦労や体調を崩すわが子を目の前にしたときの思いを語り、子どもを守るのは大人の責任だと訴えました。同席していた支援者たちも井戸弁護士や田辺保雄弁護士の説明と原告の訴えを聞き、6年半の道のりが全てこの裁判の意義に繋がっていたことを噛みしめていました。
そして、翌3月1日、福島市は実に温かく快晴でした。福島地裁前には県内外からの支援者や国内外のメディアが続々と集結。地裁前集会では、生業訴訟、津島訴訟、関西訴訟、神奈川訴訟、そしてひだんれんからの連帯の挨拶、またこれまでの年月、しっかりと本裁判を支えてくださったいくつもの支援団から勝訴を願うアピールが行われました。
いよいよ地裁の中へ…。ロビーは人で溢れ、28の傍聴席を求めて抽選に並んだのは100名。そして開廷…。
判決は既にご存じの通りです。遠藤東路(とおる)裁判長は僅か1分程度で主文を読み上げ、後ろ姿を見せ退廷しました。傍聴した水戸喜世子共同代表は「呆気に取られて野次も飛ばせない。ただ茫然としていた」と言います。固い表情の今野寿美雄原告代表と原告・長谷川克己さんが「不当判決・子どもの未来を奪う」の旗を掲げると、「なぜ!」との悲鳴や「福島の司法が福島の子どもを守らなくてどうするんだ!」との声があがりました。井戸弁護団長は「どんな結論にせよ、主文を読み上げただけで一切理由を説明しなかった。自分の出した結論を堂々と説明してほしかった。非常に残念であるとしか言えない」とコメント。地裁前では悲しみと怒りの声があちらこちらから聞こえてきました。
私、片岡輝美の個人的な感想を述べます。私は遠藤裁判長がそそくさと法廷を後にした様子を聞き「裁判長は逃げた!」と思いました。子ども脱被ばく裁判の訴えを認めることになれば、国策の過ち、国や福島県の不作為を認め、内部被ばくや低線量被ばくの危険性、セシウム含有不溶性放射性微粒子の存在に近づくこととなり、今後の原子力行政や原発訴訟に大きな影響を与えることになる…、そこから遠藤裁判長は逃げたのだと思いました。それほど、子ども脱被ばく裁判が訴えていたことは、いのちよりも核を優先するこの国の闇に深く切り込んでいたのだということが、遠藤裁判長の後ろ姿を見て明らかになったと思います。
多くの励ましや労いの声をいただきながら、事務局からのご挨拶が遅くなりましたことお詫びします。落胆の声も届きますが、日に日に「このままでいいわけがない!」との声が大きくなっています。遠藤裁判長の不当判決は、どうやら私たちに火を付けてしまったようです!控訴についての正式な発表はまだ待つことになりますが、次の動きに向けて力を蓄えておきましょう。これまで以上に思いをひとつにして、こどものいのちと権利を守るために歩んでまいりましょう!
弁護団共同代表 井戸謙一
1 原告の皆様、支援者の皆様、今回の判決は大変残念な結果に終わりました。言渡し終了後、多くの皆様が裁判所に怒りをぶつけられたのは当然のことでした。その後、判決全文を検討しましたので、私の評価を申し上げます。
2 この判決は、ICRP、IAEA,UNSCEARの見解を金科玉条の如く取り扱い、これにさえ従っていれば問題ないという考え方に貫かれています。これらの組織が、原子力の積極的な利用を目的とする組織であり、被ばく防護基準も原子力の利用を妨げない限りで設けているにすぎないことは全く顧慮されておらず、したがって、それが人権尊重を基本原理とする日本国憲法下の価値体系に適合するのかという問題意識はかけらもありません。緊急時被ばく状況の参考レベルを年20ミリシーベルト~100ミリシーベルト、現存被ばく状況の参考レベルを年1ミリシーベルト~20ミリシーベルトと定めたICRP2007年勧告は、日本の法律には取り入れられていないのに、まるで「法律」であるかのごとく取り扱われています。
3 学校環境衛生基準
その中で、学校環境衛生基準に放射性物質についての定めが置かれていないことについて、「学校の保健安全の観点からすれば、これについても必要な考慮をすべきことは明らかである」と判示されていることは我々が獲得した成果であると思います。子どもを被ばくから守るためには、子どもの被ばく限度を学校環境衛生基準に定めることは国の義務のはずです。
この点について、判決は、学校環境衛生基準に放射性物質についての定めがない状況では、具体的な措置は、教育委員会の合理的な裁量に委ねられていると述べ、今の環境下で教育をすることについて、教育委員会に裁量権の逸脱、濫用はないとし、20ミリシーベルトで学校を再開したことについても不合理とは言えないとしました。
ここでは、原子力法制の価値判断と日本国憲法下の環境法制の価値判断が正面からぶつかります。環境法においては(学校環境衛生基準も同様)は、放射性物質のような閾値(しきいち)のない毒物の環境基準は、生涯その毒物に晒された場合における健康被害が10万人に1人となるように定められています。それが環境法の価値観なのです。これに対し、原子力法制下で一般公衆の被ばく限度とされている「年1ミリシーベルト」は、生涯(70年間)晒されるとICRPによっても10万人中350人ががん死するレベルです。年20ミリシーベルトであれば、なんと10万人中7000人ががん死します。この決定的な価値観の対立の中で、この判決が原子力法制の価値判断を優先させて採用する理由は、全く示されていません。私たちが最終準備書面において力を入れて書いた論点であるにも関わらずです。
4 セシウム含有不溶性放射性微粒子(CsMP)
CsMPについて、判決は、「現状では科学的に未解明な部分が多く、現時点で従前から想定していた内部被ばくのリスクを超えるリスクの存在を否定できるものではない」と述べ、「今後も、その健康影響のリスクを十分に解明する必要がある」ことは認めました。しかし、「放射性微粒子が有意な割合で存在するのか、土壌に沈着した放射性微粒子が有意な割合で大気中に再浮遊するのか、科学的に解明されているとはいえない」としつつ、「有意に存在するのか、有意な割合で再浮遊するのか科学的に解明されてない。」とし(微粒子の割合や再浮遊することについて、原告側から提出した論文は無視されています。)、ICRPが、従前ホットパーティクル(プルトニウム粒子)の危険性を否定していたことから、「現段階において、ICRPの勧告に依拠した放射線防護措置を講じることが直ちに不合理ではない」と断じました。ICRP勧告は、セシウムが不溶性粒子として体内に入ることは想定していません。科学的にはっきりするまで対策を採らなくてもいいというのですから、それは、子どもたちを実験台にする考え方であり、許されません。
5 福島県県民健康調査
判決は、福島県県民健康調査について、過剰診断論は採用していませんが、スクリーニング効果論が「現時点で直ちに不合理であるとはいえない。」とし、発生している小児甲状腺がんが被ばく由来であるとの考え方を退けました。報告対象外の手術例(経過観察中の子どもから発症した甲状腺がん)については、この存在が「県民健康調査の甲状腺検査の結果を評価する際に具体的にどのように影響するのかは別途検討を要する」けれども、「現時点において具体的な影響があると認めるに足りる的確な証拠はない。」としています。報告対象外の手術例が何例あるか分からないのに、スクリーニング効果論が不合理であるとはいえないとする判断は、不合理というしかありません。
6 安定ヨウ素剤の投与指標
私たちが、平成14年に山下氏を委員長とする委員会が、安定ヨウ素剤の投与指標を小児甲状腺等価線量100ミリシーベルトに据え置いた点の不合理を主張したことに対して、判決は、「不合理とは言えない」としましたが、私たちが強く主張した点、すなわち、そのリスク・ベネフィット計算におけるリスク数値として、ポーランドにおける子どもの副作用数ではなく、大人の副作用数を採用した不合理性については、全く触れておらず、完全に無視されました。
7 山下発言について
山下俊一氏の安全宣伝については、「誤解を招く」「問題があるとの指摘をうけてもやむを得ない」「より適切な説明の仕方があった」「不適切であるとの批判もありうる」などと評価しつつ、「県が訂正した」「イメージ的に分かりやすく説明するためのいわば例え」「多くの住民が福島県外に避難することを回避する意図があったと認めるに足る証拠はない」「積極的に誤解を与えようとする意図まではうかがわれず」等と述べて、結局、すべて免罪してしまいました。山下氏の苦しいうわべだけの弁解をそのまま採用した安易な判断です。
8 原告の皆さんが苦しい闘いを続け、多くの支援者の方々が懸命に支援してきていただいた結果がこれでは、到底納得できるものではありません。被ばく問題の原則は、「可能な限り被ばくは避けたほうがいい」です。ICRPですら、LNTモデルを採用し、いくら低線量であっても、その線量に応じた健康リスクがあることを認めています。一般公衆の被ばく限度年1ミリシーベルトすら、安全値ではなく、がまん値でしかありません。少しでも被ばくを避けようとする営みは、正しい営みとして積極的に評価されなければならず、これに対する妨害は許されません。「被ばくを避ける権利」をこの国において認めさせるための闘いは、これからも続きます。以上
■水戸喜世子共同代表 『反原発新聞』寄稿より
司法が“被ばく行政”を追認~子どもの安全環境での教育権守らず~
子ども脱被ばく裁判の会共同代表 水戸喜世子
名誉ある全面敗訴と言いたい。年20ミリシーベルトが、いつの間にか空気を吸うように当たり前になってしまったきわめて異常な私たちの日常。この裁判を通じて、放射性微粒子の9割以上が不溶性の形で、今も子どもの通学路の砂埃にまみれて在ることを世に示すことができた。コロナと同じようにナノサイズで目に見えないが、コロナのようにすぐには高熱が出たりしない。しかしいったん空気と共に吸い込んでしまったら、微粒子が付着した肺などの部位の細胞やその上の遺伝子は、分子結合エネルギーとは桁違い(10の6乗ほど)に大きなエネルギーをもつ放射線を何十年も浴び続けることになるのである。医学的作用の仕組みは議論の途上であっても、この物理的事実に変わりはない。
遠藤東路裁判長が、もしも毎回の法廷で涙ながらに訴えた原告の声に耳を傾けていたら、もしも広島の「黒い雨」訴訟の原告の訴えや高島判決から学んでいたら、決してこのような放射線に対して無知蒙昧、ICRP信仰依存症に堕したロボット判決文は書けなかったはずである。いったん法衣を脱ぎ「真実に寄り添う」という司法の原点(樋口英明元裁判長の言葉)を学び直せと心から進言したい。環境基本法にも、学校環境衛生基準にも放射線についての基準値が空白のまま放置されている現状で、前例主義ではない、現実の中から真実を見つけ出す司法のあるべき姿を、子ども裁判の弁護団はやりぬいたのである。この裁判の意義はそこにある。
環境基本法・WHOの基準をもとに、追加被ばくは年2.85µSv/年と算出した。平均寿命を70年としての計算であるので、寿命100年時代の今、実際はもっと小さい値となる。人体は追加被ばくに耐えられないことを示す、核時代に訣別を告げる象徴的な数字として、裁判所が採用し、灯台の役割を果たす指標として採用してほしかったと思う。安定ヨウ素剤を服用させなかった失策をはじめとする。
ロボット裁判長は「子どもが安全な場所で教育を受ける権利の確認」を却下し、「放射線管理区域並の線量下で学校教育を行うな」という請求を棄却した。棄却した根拠は核企業の寄付で成り立つ一民間の研究機関に過ぎないICRP基準であり、年20mSvまで問題なし、内部被ばく不問としたのである。法律に依拠しない裁判を裁判といえるのであろうか。
子どもに安定ヨウ素剤を服用させなかった失策をはじめとする 事故直後の被ばく行政の過誤についても、IAEA,ICRP基準を根拠に正当化した。県民を愚弄し、被ばくへの警戒心を解き、結果的に無用の被ばくを強いた山下俊一発言には、200ページの判決文の最終部分で多くの文言を費やし、法廷で本人が語った自己弁護の詭弁を延々と引用し、免罪した。国賠訴訟について、棄却の決定がされた。
■7世代に思いをはせて
◆子ども脱被ばく裁判弁護団ブログ
http://fukusima-sokaisaiban.blogspot.com/
◆判決
http://fukusima-sokaisaiban.blogspot.com/2021/03/202131_8.html
◆判決要旨
http://fukusima-sokaisaiban.blogspot.com/2021/03/202131.html
◆井戸弁護団長の判決評価
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「朝日新聞 福島版」2021年3月2日掲載 |