子ども脱被ばく裁判の会のみなさま
片岡輝美です。日頃より大変お世話になっております。昨日、代々木公園で開催された3.21さようなら原発全国集会には、みずれが降りしきる中12000人が集まりました。極寒の中でしたが、参加者の思いはとても熱いものでした。原告の長谷川克己さんは自主避難者の立場から、私は原発事故被害者団体連絡会ひだんれんから依頼され、子ども脱被ばく裁判に関わる者、福島で生きている者としてアピールを行いました。私の背後には、今野原告団長やひだんれんのみなさんが立ち応援してくださいました。画像や私のアピールは子ども脱被ばく裁判ブログに掲載しますので、どうぞご覧ください。
ご参加くださったみなさま、本当にお疲れ様でした。くれぐれもお風邪など召しませんように。脱被ばく実現ネットさんはブースを設置しておられましたが、悪天候と帰り道のことでご挨拶にも行けず、大変ご無礼しましたこと、お許しください。
第14回裁判は4月25日(水)です。今晩の運営会議で日程の最終確認を行い、ご案内を始めます。新しい裁判官のもとでの審理となります。今度は春の福島市でお目にかかります。どうぞお気をつけてお出かけください。
片岡輝美
🔻当日のスピーチは下記にあります。
2018 さようなら原発!全国集会 2018/03/21
みなさん、こんにちは。私は原発事故被害者団体連絡会ひだんれんにつながる子ども脱被ばく裁判の会共同代表、片岡輝美と申します。本日は、原発事故裁判に係わる者、福島県に住む者の立場からアピールをいたします。
先週、京都地裁と東京地裁において原発事故被害者集団訴訟判決が出ました。昨年3月の前橋地裁判決、10月の福島地裁生業訴訟判決、そして先週の二つの判決が国と東電の責任を認めたのです。一つ一つの判決が積み重なり、司法の世界も変えていく流れを生み出し、安心して生きる権利の回復に少しずつ近づいている希望を私たちは胸を熱くしながら実感しています。
私が住む会津地方は原発事故直後から「線量の低い会津地方」とされ、反核運動で著名な方にも直接「会津は大丈夫でしょう」と言われたことがあります。しかし、私たちの測定でも土壌の汚染や運動着運動靴に付着したセシウムは確認されています。確実に放射能汚染がありながら、これまで、原発事故子ども被災者支援法を始め様々な支援対象からも外された会津地方です。そこからの自主避難者も、京都訴訟において賠償の対象と認められたことが私は本当に嬉しいのです。しかし、その一方で訴えが棄却され、苦しみに全く見合わない賠償金額に大きな悔しさを味わっている原告もおられます。
それぞれの裁判の原告、弁護団、支援者のみなさん、この判決に至るまでのご苦労とお働きに心から敬意と感謝を申しあげます。私たちはこれからも、今後起こされる控訴や現在審理中の各地の裁判に加わり、国と東電の責任を決定的なものにしていきましょう。
2014年8月末福島地裁に提訴された子ども脱被ばく裁判は「子ども人権裁判」と「親子裁判」の二つから成り立っています。子ども人権裁判の原告は福島県内に住む小学生と中学生20名です。彼ら彼女らは、自分たちが住む市と町を被告とし、安全な地域で教育を受ける権利の確認を求めています。しかし、被告側は「児童生徒は、自治体に対して何らかの措置を求める権利はない。また低線量被ばくによる健康リスクの科学的見解が一致していない状況において、自治体が何らかの措置を取る義務はない」と主張しています。
また、もうひとつの親子裁判の原告150名は、福島原発事故が起きても国や県が適切な被ばく回避措置を講じなかったため、子どもが無用な被ばくを強いられたとして国や県に対して原告ひとり10万円の損害賠償を求め、スピーディなどの情報隠蔽や安定ヨウ素剤が配られなかったこと、文科省20ミリシーベルト通達によって学校が再開された問題、山下俊一氏らの安全宣伝問題などを争点としています。さらに、低線量被ばくと内部被ばくのリスクを大きな争点の柱として裁判は進んでいます。つまりこの裁判は、福島原発事故後の放射線防護対策の是非を真正面から問う裁判であり、被ばくによる健康被害が損害なのではなく、「無用な被ばくそのものが損害である」と捉える初めての裁判なのです。ご想像の通り、見えないものを損害やリスクとして争点とすることは困難が伴います。しかし、先週の東京訴訟判決で低線量被ばくのLNTモデルを合理性があると認められたことを追い風にして、低線量被ばくと内部被ばくのリスクを裁判で認めさせることで、原告のいのちや健康、権利が守られるだけでなく、福島県内や放射能汚染がある地域に住む子どもや人々のいのちや権利も守られることになると、私たちは信じています。
これまで開かれた13回の公判には、県内や関東関西から支援者約60名が集まり裁判を傍聴しています。毎回行われる意見陳述で訴える親たちの手は震えています。それは緊張からくる震えではなく、湧き上がる怒りを必死で押さえている震えです。「今でも放射能を怖がっているのかと言われるが、親が我が子の心配をして何が悪い」と父親が訴えます。「野球に打ち込む時の息子が最も輝いており、彼を応援する自分も幸せを感じる。しかし、試合中に舞い上がる砂埃を見ると、吸い込んだセシウムボールが内部被ばくを起こし、息子の健康を蝕むのではないかとの不安が募る。だからこそ土壌汚染の測定をしてほしい」と母親が訴えるのです。
昨年8月、第11回裁判には、母親に抱かれた幼子や夏休みで避難先から自宅に戻っている小学生から高校生たち7名が原告席に座り、真向かいに座る被告代理人約20名を見つめていました。彼ら彼女らの視線を正視できる被告代理人はいなかったと思います。正にその光景は圧巻でした。しかし、それは同時に子ども達を原告席に座らせるような現実を私たち大人が作り、子ども達に保障されていた安心して暮らす権利を奪ってしまった証拠でもありました。
2015年夏から昨年の3月末まで、ひだんれんは区域外避難者の住宅無償提供の打ち切りを阻止すべく、福島県との交渉を重ねてきました。担当者は、住宅支援を打ち切り帰還政策を進める理由として、除染が進んだことや食の安全が確認されたことなどを上げていましたが、最後には必ず「原発事故が起きても、変わらず福島県に住み続けている県民がいるのです」と付け加えていました。私はその言葉を聴く度に「冗談じゃない、私を勝手に福島県にとって都合の良い県民にするな!」と、怒りに震えていました。
2011年3月11日以前から一般住民を放射能被ばくから守るための原子力防災法、緊急時環境放射線モニタリング指針、そして、放射能の拡散予想データを出すスピーディがあったにもかかわらず、国や福島県、東電はそれらを機能させず自分たちにとって都合の悪いことは隠蔽し、無用な被ばくを私たちに強いたのです。それなのに、この7年の間、自分たちの都合の良いように私たち福島県民を利用している。
内堀県知事は、住宅支援を継続してほしいと訴える福島県民には面会しないで、復興を加速させる県民を笑顔で迎える。福島県民の総意として何度も福島第二原発の即時廃炉を求めているのに、東電は答えを引き延ばし、安倍首相は企業が決める判断として責任を逃れ、原発の再稼働や海外輸出を進める。いったいこの不誠実な態度のどこが被災者や県民ひとり一人に寄り添っているのでしょうか。
そして今、広がりつつある新たな福島安全論は「反原発・被ばく容認」の立場を取っています。原発は反対、でもこのくらいの被ばくは問題ないとして、福島県に住む人々に安心を説き、今でも放射能に不安を感じる人々には、自分たちが解明した正しい科学的知識が必要だと言います。
しかし、私たちは無知で臆病だから不安を感じるのではない。私たちの中の警報装置が、生命が危険にさらされるかもしれないと、あの爆発と同時に鳴り始めたのです。原子炉内にあるべき放射性物質が爆発によって飛び出した事実に不安を感じるのも、事故前には存在しなかった汚染が確認される地域で子育てする時、心配でならないのも当たり前の反応なのです。そして、警報装置が鳴り止まないのは、放射能測定を重ねて分かってきた事実があり、この国の政権や東電、福島県が自らの責任を認めず、原発事故被害者に誠意を持って向き合うことなく、その人々の生命や権利を蔑ろにし続けているからです。
この7年で気づいたことがあります。それは、私たちには事実を知る力、真実を見抜く力、そして本当に重要なことを見分ける力が秘められているということ。その力をフルに使って、共に声を上げ続けましょう。自分が生きる場所で、その場所だからできることに真摯に取り組んできましょう。もはや、私たちは、権力を持つ者にとって都合の良い無力な市民ではないのですから。
2018年3月21日 さようなら原発全国集会
子ども脱被ばく裁判の会共同代表 片岡輝美