2017年7月12日水曜日

第11回子ども脱被ばく裁判口頭弁論のご案内

子ども脱被ばく裁判をご支援くださるみなさま
日頃より、子ども脱被ばく裁判をお支えくださり、深く感謝申しあげます。ありがとうございます。
第10回子ども脱被ばく裁判で、弁護団は次々と原告準備書面に関する意見陳述を熱く語り、その整然とした論理展開に傍聴者も引き込まれていました。原告意見陳述は代読となりましたが、親子三人避難したくても、経済的な事情により叶わないこと、保養プログラム参加後は明らかに子どもの健康状況が改善されていること、しかし、周囲からの心ない言葉に傷ついていることが、淡々と綴られていました。「親として我が子の健康を心配して、何が悪い!」との叫びは傍聴者の胸に迫り、あちらこちらからすすり泣く声が聞こえてきました。このように、本裁判が確実に核心に迫りつつある手応えを感じた一方、福島県内は20mSV/y帰還政策の強行や県民健康調査の縮小化矮小化の検討が進められています。本裁判で勝訴し、ますます生命が蔑ろにされていく流れを、ぜひとも止めていきたいと強く願うところです。
下記の通り、第11回子ども脱被ばく裁判が開催されます。暑さの厳しい時ではありますが、ぜひ福島地裁を目指して、お集まりください。法廷を満席にしましょう。また、午前中のアクションプログラムでは、豊田直巳監督のトークと「奪われた村〜避難5年目の飯舘村民」の自主上映を行います。国内外でご活躍の豊田直巳監督のお話を直に聴くことができる機会です。ご期待ください。

子ども脱被ばく裁判の会 水戸喜世子 片岡輝美
子ども脱被ばく裁判原告代表 今野寿美雄

第11回子ども脱被ばく裁判口頭弁論日程
■日時:2017年8月8日(火)午前10時00分〜午後5時30分
■会場:福島市民会館501号室 〒960-8021福島市霞町1番52号 ℡024-535-0111
    
http://www.city.fukushima.fukushima.jp/site/shisetsu/shisetu-bunka26.html
    福島地方裁判所 〒960-8512  福島市花園町5-38 ℡024-534-2156
■プログラム
  • 10:00 開会のあいさつ・署名数報告
  • 10:10 上映「奪われた村〜避難5年目の飯舘村民」と豊田直巳監督トーク
  • 12:00 昼食と休憩
  • 12:45 弁護団より本日の裁判の争点 
  • 13:15 地裁へ移動
  • 13:30 地裁前集会
  • 14:00 傍聴券配布
  • 14:15 入廷
  • 14:30 開廷・意見陳述
  • 15:30 閉廷
  • 15:50 記者会見
  • 16:20 本日の裁判と今後について意見交換
  • 17:30 閉会のあいさつ


豊田直巳さん:1956年、静岡県生まれ。
日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)会員。長年にわたり、イラクやパレスチナなどの紛争地を取材。劣化ウラン弾問題やチェルノブイリの取材経験をもとに、現在は福島を中心に取材活動をしている。写真集・著書『フォト・ルポルタージュ 福島を生きる人々』(岩波書店)、『フクシマ元年』(毎日新聞社)、『フォトルポルタージュ 福島 原発震災のまち』(岩波書店)、『豊田直巳編 TSUNAMI 3・11』(第三書館)、戦争を止めたい』(岩波書店)など多数。ドキュメンタリー映画『遺言〜原発さえなければ』(共同監督)

■「奪われた村〜避難5年目の飯舘村民」物語〜5年を経て明らかになる放射能汚染地帯の現実〜より:http://ubawaretamura.strikingly.com
福島第一原発の爆発直後のまだ村にヨウ素131が漂い、セシウムが強烈な放射線を放っている時期には「安全だ」と言われて村に留め置かれ、半減期8日の放射性ヨウ素が放射線を放って消滅した頃になって村民全員がふる里を追われた飯舘村。以来、村人は放射線被ばくによる健康不安、慣れない仮設住宅に暮らすストレス、共同体の崩壊による孤独感を味わってしました。そして時を経るごとに実感するようにな るのは、原発事故によって奪われたものの大きさでした。しかし、村を追われ、理不尽さを耐え忍んできた人々が、いま、声を上げたのです。原子力ムラに叛旗を翻すべく、ADRに申し立てたのだ。「謝れ!償え!かえせふるさと飯舘村」と。
このドキュメンタリー作品は人口の過半数を超える3000余名の村民が立ち上がった「謝れ!償え!かえせふるさと飯舘村」原発被害糾弾飯舘村民申立団の協力を得て取材撮影されました。また製作に当っては同申立団を法的に支える弁護団の協力の下、ドキュメンタリー映画『遺言~原発さ得なければ』の共同監督でフォトジャーナリストの豊田直巳が、自らカメラを回し、また構成・監督を務めました。
撮影は昨年(2015年)3月から今年、4月まで1年に及びました。それは、村民が「奪われたもの」が何なのかを、製作する側が実感するためにも必要な時間でした。しかし、村人自身が「奪われたもの」が何なのかを自覚するまでには5年という、あまりに長い苦渋の歳月があったのです。この作品に登場する村人の眼前に、そして心の中にあった「美しい村」から何が「奪われた」のか、是非、ドキュメンタリーをご覧いただき、こころに留め置かれること願いつつ・・・。